決心促したライバル
小雨が降る四月二十一日、国立競技場で、陸上競技の東京選手権が行われました。そこで山下佐知子さん(第一生命陸上競技部監督)と対談するため待ち合わせしました。実は、山下さんとはともに陸連の理事に選出されてから、電話でちょくちょく話をしていても、会うのは半年ぶり。
来た来た! 黒の革のパンツスタイルだ! 彼女は、きゃしゃな体を小気味よく動かして歩くので、遠くからでもすぐに分かります。日焼けした鼻の頭の皮がむけていて、とっても健康的でした。この日の対談は夕方まで話に花が咲きましたが、興味深かったのは、なぜ彼女が監督を引き受ける決心をしたのか?
それは、有森裕子さんの影響が大だったようです。有森さんと山下さんはともに、一九九一年世界陸上東京大会に女子マラソン日本代表として出場。このときは、山下さんが銀メダル、有森さんは4位入賞。そして翌年のバルセロナ五輪では有森さんが銀メダル、山下さんは4位に入賞。
その後、有森さんは競技生活を続け、山下さんは選手兼コーチという形で第一生命に入社、当時は選手としても指導者としても中途半端な状態だったようです。そんな中で、チームの伊藤真貴子選手を連れてボルダー(米国・コロラド州)合宿をしました。
そこで、伊藤選手は有森さんと練習し、ともに夏の北海道マラソンを目指しました。その大会で有森さんは見事優勝のテープを切り「生きていて良かった!」力を出し切った美しい表情が印象的。
一方、ゴールした後もモタモタしている伊藤選手を見た山下さんは「まるでわたし自身の中途半端な心模様を見ているようだった」そうです。そして、このとき「もっと、指導者として選手のために一生懸命頑張ろう」と、決心したのです。
(共同通信)
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