「表現する」方法に違い スポーツと演劇
花の世界は桜からツツジにたすきリレー。夜の目黒川沿いを走る私の心をつつじのピンクが明るく染めてくれます。
そんなとき、ふと思い出すのは、NHKの番組でご一緒した平田オリザさん(38)(劇作家・演出家・「逃げてゆくもの」で2000年度文化庁芸術祭演劇部門優秀賞受賞)とのお話。
番組終了後、「スポーツと演劇」についてしばらく話し込んでしまいました。この二つは「表現する」という意味では共通していますが、表現方法が違うという点が面白かったです。
「僕たちの世界は評価の基準がはっきりしないから苦しいんですよ」と平田さん。この点は、嫌でも勝ち負けが明らかになるスポーツとは大きく違うところです。
では、演劇の場合、何が評価のバロメーターになるのでしょうか。平田さんは「評論家が見に来てくれるかどうか。あとは観客動員数でしょうか」とか。つまり、評論家が来てくれるようになると、第一関門は突破したという安心感がわく。それでも、たまに批判記事を書かれることもあるし、観客が会場にあふれて喜んでいると、「観客に迎合した作品だ」なんて言われることもあるようです。
厳しいなあ。今までは、負けても言い訳ができないスポーツほど厳しいものはない、と思っていましたが、人から評価される苦しみは大変なものだと思いました。
ただ、うらやましいなあと思ったのは、「表現」が演出家の場合、心の成長と共に「作品」に表れるという点です。年齢の積み重ねと共に味わいを増していく。しかし、スポーツは「結果」が「作品」ならば、心が円熟したころに体がついてこなくなります。心の満ち具合が作品に反映されなくなってしまうのです。
とにかく、話は尽きませんでした。たまに、違う世界の人と一つのテーマで対談すると面白いです。
(共同通信)
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