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おしゃべり散歩道2003

ラストラン

 冬の風物詩「駅伝」。名前の由来は、大化の改新後に生まれた「駅馬伝馬」制度から。役人が国の連絡ごとを伝えるために、各地におかれた馬に乗り継いで移動したらしい。東海道や中山道…。
 いまはその道を選手が走る。汗が染みたタスキをつないで走る。駅伝が、選手おのおのの記録の「足し算」で計れないのは、”待っている人”がいるから生まれる力があるからだと思う。
 先日、冬の美濃路を女子実業団のトップ選手たちが駆け抜けた。優勝した三井住友海上の5区(11.6キロ)の坂下奈穂美選手は涙をこらえて走った。ラストランだった。「人とかかわることが好き」と話す彼女は、競技生活の最後を、マラソンではなく駅伝で締めくくりたかったのだ。
 2000年、01年と三井住友海上が連覇したときは原動力となり、自分が故障で走れないときは後輩たちの着替えの手伝いをしていた。「走りながら泣いてしまうかもしれない」。当日ホテルを出発するとき坂下さんは言った。
 レースはまさかの苦戦を強いられた。2位でタスキを受け取った彼女はトップをゆく京セラの原裕美子選手にすぐ追いついた。トラックの1万メートルの記録は原さんの方が上。抜きつ抜かれつの激しい戦いだった。8キロ過ぎ、金華橋の上から「ナオミ、ナオミ」の大応援団の声が。会社の人たちだった。
 彼女のみけんにしわが刻まれた。厳しい顔は、泣くまいと必死に涙をこらえているから。呼吸が激しくなった。そして、アンカーの大山美樹選手が見えると、さらにスピードを上げ、前のめりになってスパートした。目いっぱいの姿に見えた。だが、外したタスキを両手で横に伸ばし、大山さんが持ちやすいようにしてから渡すと、彼女の腰をポンとたたいて倒れ込んだのだ。”あとはよろしくね”というように。
 タスキとともに受け継がれるだろう坂下さんの思い。心がふるえる区間賞の美しいラストランだった。

(産経新聞/2003年12月26日掲載)

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