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おしゃべり散歩道2004

心打たれた「敗者の美学」

 「優勝者の美学」って何だろう? 男子ハンマー投げのアドリアン・アヌシュ選手(ハンガリー)。金メダルを剥奪(はくだつ)された彼は、ドーピング疑惑がかかってからずっと逃げまわっている。
 先日は、国際オリンピック委員会(IOC)の検査官がハンガリーまで行って再検査を求めたが、「やっていない。尊厳を傷つけられた」と彼のボディーガードに検査官は追い返されたとか。
 今は「屈辱を受けた。引退する」と言っているらしいが、やっていないなら正々堂々とおしっこを出せばいいじゃない。このオリンピックで、負けた人の、その後の美しい態度や人柄に触れているせいか、余計に腹が立つ。
 金メダルを期待されながら準決勝で敗れた浜口京子選手(女子レスリング72キロ級)。3位決定戦の相手はウクライナのサエンコ選手だった。私はこの試合を国際放送センター(IBC)の国際映像で見ていた。サエンコ選手はほとんど技がなく、頭を突き出しぶつかり続けた。レフェリーから注意を受けてもおかしくないほどひどかった。
 でも浜口選手は「相手の違反で勝ちたくない。攻めて勝つ!」と言わんばかりの戦いぶりで勝利した。試合後、彼女にIBCで会った。右目の上の青く腫れたコブが痛々しかった。目が開かないその顔で「ありがとうございました」と口元が大きく笑った。
 私は涙が出た。準決勝で負けた時、お父さんが審判に止められながらも体を張って全力で京子さんを守ろうとした姿を思い出した。彼女は負けてから3位決定戦までの短い時間の中で、越えなければならない思いがたくさんあったと思う。
 悔しさ、ふがいなさ、申し訳なさ、父への思い・・・・・・。戦い終えて、マットにキスしたのは、そんな思いを越えていたからこその「オリンピックにありがとう」だったのではないだろうか。
 また、優勝が確実と見られていた柔道の井上康生さんが敗れた後、本人は敗因がわかっているはずなのに、一言も言い訳をしない。その翌日は鈴木桂治さんの試合に付き添い、それからJOCのパーティーではメダル受賞者をたたえていた。さらにサッカー、野球の応援に試合会場にも現れた。普通はできないことだと思う。
 陸上の男子100メートル2次予選で敗れた末次慎吾選手はその悔しさを、チームの400メートルリレーにぶつけ、力を出し尽くした美しい走りで史上最高の4位に入った。
 こんな人たちだからこそ王者になれるのだと思う。オリンピックを多くの人が見るのは、勝者の「華」に感動するだけではない。ギリギリの状態の気持ちの中で最後まで一生懸命戦い抜く姿に、みな心を打たれるのだと思う。

(朝日新聞/2004年8月30日掲載)

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