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おしゃべり散歩道2006

あきらめたら負け

 強い陽射しを喜ぶように蝉の声が響き渡った夏の午後。東京・渋谷のホテルで島袋勉さんを待ちました。月刊誌の対談のためです。昨年、島袋さんが出した著書「義足のランナー」に私が帯のコメントを書いたことがきっかけで、お逢いするのは初めてでした。
 私が席に着いて5分後、「遅れてすみません」と額に汗をかきながら島袋さんが到着。紺色のかりゆしシャツに描かれた赤いハイビスカスの花も汗で濃さを増し、短パンから下は両足が義足。「遅れたうえにすみませんが、汗を拭かせてください」と島袋さん。まるでシューズを脱ぐように義足を外し、義足に包まれていたひざ下をタオルで拭きながら、「こうやらないと皮膚が傷ついて痛くなってしまうんです」と話すのでした。
 島袋さんは2001年の4月に事故で両足をひざ下から切断しました。驚くのは、その年の12月にホノルルマラソンを12時間59分で完走したことです。「僕は失ったことをクヨクヨするよりも、得られることの多さを楽しみたい」と話すように、その後フルマラソンを6回完走し、昨年のニューヨークマラソンでは、7時間20分の自己記録を。私が知るところ、両義足でフルマラソンを走るのは、世界で島袋さんただ一人です。
 「何故マラソンを?」と尋ねると、「あきらめない習慣を身につけたかったから」と。マラソンを走りながら苦しくなると「あと100mいったらまた考えよう」と思いながらゴールに辿り着くようです。「私もロス五輪の時、そんな気持ちで頑張れればよかった」と素直に話すと、ハッハッハッと笑いながら「諦めたら負けですよ」と。
 この精神で島袋さんが社長として経営するコンピューターソフトの開発会社も順調のようです。沖縄へ戻る島袋さんと一緒に渋谷駅へ。交差点の雑踏の中、颯爽と歩く島袋さんの義足に気づく人はいませんでした。

(共同通信/2006年8月7日配信)

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