聖火リレー戦後復興の証
体育の日、「1964年の聖火リレー、26000qをつないだ人々」と題したNHKラジオの番組に出演。1936年のベルリン五輪から始まった聖火リレー。それが一大イベントとなるきっかけになったのが東京五輪だったということを知りました。
講談師の神田山陽さんの名調子で、聖火がアジア各国を経由し占領下の沖縄、全国46都道府県をまわる様子を紹介。聖火リレーに関わった人々の肉声も聴くことが出来たのです。
先ず、アジアの入口であるトルコでの熱狂ぶりは凄かったです。トルコは親日家が多いことでも有名ですが、アジア初の五輪への思いの強さがうかがえました。また香港では台風に遭い沖縄到着が1日遅れ。沖縄を2日かけて周る予定を1日短縮しようとした時に「戦後のしわ寄せを受けている沖縄が聖火リレーもしわ寄せを受けるのは許されない」と沖縄の代表が強く求めました。そして分火されて1つは鹿児島へ、もうひとつは沖縄を予定通りまわったのです。
沖縄から鹿児島へ、鹿児島から宮崎と北海道へ聖火を運ぶのに使われたのが、当時開発中だった戦後初の国際飛行機YS―11。万が一聖火が消えた時の種火として、カイロが使われていたそうです。
ただの火ではない、聖なる火だからこそ、皆が緊張感を持って運んだのでしょう。でも聖火の後ろを伴走する人にリアイア者もいたようです。その一番の理由が「トーチから出る煙のため」と。火が見えにくいので、わざと煙が多めに出るように火薬を調整したのです。
第2次世界大戦という不幸な歴史を経験した日本で、復興の証となる聖火を各地に届けた聖火リレーに、戦後の日本を作ってきた人々の心意気を感じました。
(共同通信/2014年10月10日配信)
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