横浜女子閉幕に寂しさ
先日、横浜国際女子マラソンが幕を閉じるという発表がありました。赤レンガ倉庫や山下公園、氷川丸の汽笛など、情緒的な景色は女性の舞台に相応しいと思っていたので、とても寂しいです。
この大会の前身は1979年に始まった東京国際女子マラソン。まさに女子マラソンの出発点です。スタートの理由は5年後のロサンゼルス五輪で女子マラソンが正式種目に決まったこと。日本も強化を図ろうとしたのです。第1回大会に出場した下条由紀子さん(現・ランナーズ編集長)は「テレビ中継もあるので、マナーにも気をつけましょう、ゴールまで走れる脚を鍛えましょうと東京と大阪で合宿もしたのよ」と話します。その合宿には村本みのるさん(第1回大会日本人トップの7位入賞)も参加されていたそうです。
レースはイギリスのジョイス・スミスさんが優勝。彼女は2児の子ども持つ42歳の母。長身で美しいスミスさんが、唾を白いハンカチでぬぐって走る姿は上品でした。女性ランナーはこうあるべきだというお手本になり、同時に母の強さに皆が驚いたのです。
そして1〜5回大会を走った佐々木七恵さんは女子マラソンのパイオニアで、その後ロサンゼルス五輪に私と共に出場しました。東京国際女子マラソンは女子マラソンの創生期を支えたのです。
「女子の選手の底辺拡大を狙ったけどね、女性たちが走る姿を見て男性のランナーが急増したのよ」下条さんは笑います。長時間公道を占有するマラソンは費用もかかり、エリートだけの競技から市民化へ門戸を開放する流れには逆らえません。でも東京、横浜国際女子マラソンが育んだ美しい精神は、これからも大切に受け継がれていくことでしょう。
(共同通信/2014年10月31日配信)
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