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おしゃべり散歩道2016

第二の浅利純子目指して

 東北地方が梅雨明けをして間もない7月30日、「第10回浅利純子杯争奪鹿角駅伝」にお邪魔しました。電話で「すごい田舎ですが記念大会に来てくれますか?」と純子さんに言われ、私は二つ返事でOKを。選手の頃から、純子さんの競技者としての強さと、女性としての一歩引いた奥ゆかしさが好きでした。
 彼女の故郷、秋田県鹿角市花輪に着くと、10歳から4歳までの三人の息子とご主人が笑顔でお出迎えを。仲の良い家族の様子が一目で分かりました。早速、翌日の駅伝コースを純子さんと一緒にジョギング。朱色に塗られた柱が沢山並ぶ商店街が駅伝の舞台でした。稲荷神社の鳥居をイメージしているそうですが、何ともいえぬ風情。「選手はここを往復するので、ずっと沿道の声援を受けられるのですよ」と純子さん。
 それから私がお願いして彼女の母校、花輪小学校へ足を伸ばすことに。丘の上の学校まで約300mの急な登り坂にびっくりしました。「この道を通っていたの?」と聞くと、「はい、6年間毎日。冬はランドセルをソリにして滑って下りました」と。こんな日常の生活が、マラソンランナー浅利純子を産んだのだと分かりました。何と言っても彼女は、世界大会の女子マラソンで、日本で初めて金メダルを獲得した人。1993年、ドイツで開催された世界陸上・女子マラソンの金メダリストなのです。
 翌日の駅伝大会では、第二の浅利純子を目指して小中学生が激走をみせました。岩手県や青森県からも参加する中、中学男子の部は浅利さんの母校の花輪第一中が優勝。「浅利先輩のように世界的な選手になりたいです」と、花輪第一中のキャプテン。純子さんも優しい眼差しで見つめていました。

(共同通信/2016年8月1日配信)

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