マラソンを人生に例える時代は終わった!?
ロンドンのテムズ河畔にそびえる時計台ビッグベンを思い浮かべながら、私は先日、間近で見たロンドン・マラソンで「もうマラソンは人生に例えるような長いものではなくなった」とつくづく感じました。
それほど、男女ともにスピーディーな、まるでトラックの一万メートルの延長を思わせるマラソンだったのです。世界最高記録で優勝した男子のハリド・ハヌーシ(米国)と、初マラソンを世界歴代2位で制した女子のポーラ・ラドクリフ(英国)。2人の表情には「耐えている」とか「自らと葛藤(かっとう)している」という、マラソン特有のものはありませんでした。
私は女子の解説者として現地入り。レース前にラドクリフ選手が「皆、マラソンを難しいものに仕立て上げようとしている。ただ42キロを走るだけなのに」と淡々と話すのを聞いて、「でも、マラソンはスペシャルなものよ!」と反論したい気持ちにずっと駆られていました。
いくら世界のクロカン、世界ハーフの女王ラドクリフとはいえ、マラソンは走ってみないと分からない内臓の疲れや、後半の動かない自らの体との戦いがあると思っていたからです。でも、私の考え方の方が時代遅れだったのです。
上半身と下半身に満遍なく筋肉のついているラドクリフ選手。一緒に中継した小出義雄さん(積水化学陸上部監督)に「これからはQちゃん(高橋尚子)にもクロカンが必要でしょうか」と尋ねました。すると、小出さんは「芝生や土道を走ってできる足と、アスファルト用の足は違うからね。Qちゃんは(芝生の上を走る)クロカンはしないよ」とあっさり。
人それぞれランニングフォームが違うように練習方法も違うといいます。「Qちゃんはマラソンを2時間19分台で走った1週間後に、またそのくらいの記録でマラソンを走れる。そんな練習を積めるのが武器なんだよ」とにっこり。強く個性的なランナーたちの、今後17分台や16分台への挑戦が楽しみです。
(共同通信/2002年4月19日配信)
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