増田明美のホームページ ビデオメッセージへ各種お問い合わせへトップページへ

TOP > おしゃべり散歩道 > 2002年目次 > エッセイ第15回
プロフィール
おしゃべり散歩道
イベント情報
出演予定
執筆活動
リンク集

おしゃべり散歩道2002

わたしとおかあさん

 中3の夏。母が照らした懐中電灯の光を忘れない。夜7時、私は家の前の細い道をダッシュした。電信柱をスタートし、2本目の電信柱まで120メートル。ハス田を横目に、行っては帰り、行っては帰り、30本の猛ダッシュを繰り返した。
 ちょうどそのころ、受験勉強の真っ最中。しかし、8月に全日本中学陸上競技大会・女子800メートルに出場が決まっていたため、自主トレを行うことにしたのだ。「毎晩やるからね。絶対休まないよ」と家族の前で決意表明。キュッと、ハチマキをしめる私に母は静かにうなずき、懐中電灯を持ってついてきてくれた。タイムをとるわけでもない。「がんばれー」と声をかけるわけでもない。母はただスタート近くの石の上に腰かけ、そこを照らしてくれた。
 それが、どれほど私を安心させてくれたか分からない。空の星よりも、飛び交うホタルの光よりも、母の光はあたたかかった。
 言葉でなく、行動でしめしてくれる人だ。でも、それが私をつらくさせることもあった。その夏の全国大会で4位に入賞した後、私は成田高校(千葉)へ進学した。今は亡き恩師、滝田詔生先生のお宅に下宿生活。本格的に陸上に取り組んだ。ふすまの隣にライバルがいた。彼女との競争の毎日に疲れて、実家に逃げて帰ったことがある。「もう成田には戻らない」。そう思って。
 しかし、そんな私に母は何も言わなかった。全く自分のペースを崩さない。朝、6時半に農作業に出かけ、朝市の日は4時に家を出た。母が出た後、台所におりていくと私の朝食ができていた。「お母ちゃんはいつ休んでいるの?」。涙が出た。切なくなった。だから2泊はできなかった。無口な母の背中ほど、私に語ってくれたものはない。
 そんな母は今、ようやく自分の時間が少しもてるようになった。絵を習い始めた。たまに、私のところに絵だけがファクスで届く。偶然にも落ち込んでシュンとしている時に届くことが多い。優しいユリの花や牡丹の花の絵に、また心が照らされる。

(毎日新聞/2002年1月18日掲載)

次のエッセイを読む 【2002年の総合目次へ】 前のエッセイを読む


Copyright (C)2001-2021 Kiwaki-Office. All Rights Reserved.
サイト内の画像・文章等の転載・二次利用を禁じます。