わたしとおかあさん
中3の夏。母が照らした懐中電灯の光を忘れない。夜7時、私は家の前の細い道をダッシュした。電信柱をスタートし、2本目の電信柱まで120メートル。ハス田を横目に、行っては帰り、行っては帰り、30本の猛ダッシュを繰り返した。 ちょうどそのころ、受験勉強の真っ最中。しかし、8月に全日本中学陸上競技大会・女子800メートルに出場が決まっていたため、自主トレを行うことにしたのだ。「毎晩やるからね。絶対休まないよ」と家族の前で決意表明。キュッと、ハチマキをしめる私に母は静かにうなずき、懐中電灯を持ってついてきてくれた。タイムをとるわけでもない。「がんばれー」と声をかけるわけでもない。母はただスタート近くの石の上に腰かけ、そこを照らしてくれた。
それが、どれほど私を安心させてくれたか分からない。空の星よりも、飛び交うホタルの光よりも、母の光はあたたかかった。 言葉でなく、行動でしめしてくれる人だ。でも、それが私をつらくさせることもあった。その夏の全国大会で4位に入賞した後、私は成田高校(千葉)へ進学した。今は亡き恩師、滝田詔生先生のお宅に下宿生活。本格的に陸上に取り組んだ。ふすまの隣にライバルがいた。彼女との競争の毎日に疲れて、実家に逃げて帰ったことがある。「もう成田には戻らない」。そう思って。
しかし、そんな私に母は何も言わなかった。全く自分のペースを崩さない。朝、6時半に農作業に出かけ、朝市の日は4時に家を出た。母が出た後、台所におりていくと私の朝食ができていた。「お母ちゃんはいつ休んでいるの?」。涙が出た。切なくなった。だから2泊はできなかった。無口な母の背中ほど、私に語ってくれたものはない。 そんな母は今、ようやく自分の時間が少しもてるようになった。絵を習い始めた。たまに、私のところに絵だけがファクスで届く。偶然にも落ち込んでシュンとしている時に届くことが多い。優しいユリの花や牡丹の花の絵に、また心が照らされる。
(毎日新聞/2002年1月18日掲載)
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