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津波被害 復興への一歩
ドイツではワールドカップ・日本対クロアチア戦が行われた日、私はタイ・プーケットにいました。第1回プーケット国際マラソン開催のためです。運営に携わったのは今回が初めて。津波からの復興をアピールする記者会見で、海外から集まったメディアの方に「どんな大会にしたいか」と質問され、私は「ランナーの一歩一歩が復興の一歩一歩につながる元気な大会にしたいです」と答えました。
当日はプーケットにしては涼しい朝。夜中に降ったスコールが南国の樹々を湿らせていました。世界30カ国から約1,440人、日本からは約100人の参加。薄暗い中、フル・ハーフマラソンのスタートを見送り、私が参加した10qのスタートは6時30分。少しずつ空が明らみ始めた頃でした。トイレや給水、ランナーの様子などを確認しながら私はゆっくり走りました。前半は椰子やゴムの木が木陰を作り涼しく、給水も約2qごとに冷水が用意され、安心しました。
7q過ぎ、右手にアンダマン海が。隣を走っていた現地の人に「ここにも津波が来たのですね」と聞くと、「そうです」と言って海を指差しました。その方向の所だけ高い木がなく、左手に目をやると家があったと思われる場所がコンクリートの土台だけに。まだ爪痕を残していたのです。
私は途中から一緒に走った台湾、タイ、日本のランナーと手を繋ぎ、みんな笑顔でゴールイン。それから自転車でコースに戻り、フルマラソンの応援に向かいました。41q地点で20代前半の日本人の兄弟がピッタリ並んで走っていました。すでに時間は5時間40分を過ぎています。その浅井哲史・哲平くん兄弟はお母さんと3人で参加する予定でしたが、脚を痛め参加できなかったお母さんの分まで自分達が頑張ろうと初マラソンに挑戦したのです。ゴールに向かう2人の後姿。それは今にも止まりそうな位のスピードでしたが、一歩一歩と確実に前に進んでいるのでした。
(共同通信/2006年6月19日配信)
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