W杯を終えて
先日、永六輔さんとお会いした時、「どうしてサッカー日本代表チームは日本語の話せる監督を使わないんですか」と言われました。意思の疎通を図る上で大切なのは“言葉”。やはり監督と選手の間に通訳が入ってのコミュニケーションには無理があるということです。また、同じ風土、生活習慣から育まれた情緒的な面でも監督は日本人がいいのではないか、ということでした。
日本代表に海外の監督が起用されるようになったのは、技術面やフィジカルの強化など、“世界に学ぶ”という姿勢から生まれたことだと思います。ただ今回のワールドカップで私自身がもどかしさを感じたのは、“日本らしさ”がなかったからです。日本らしさを言葉にするのは難しいのですが、メンタルの強さや戦い方の美しさ・・・。こんなことを考えている折しも、二宮寛さん(元サッカー日本代表監督)が「日本古来の武道に学ぶべきだ」と書かれた記事を新聞で読みました。「相手のすきを瞬時に突くためには、呼吸を読み、間合いを取ることが大切」。また研ぎ澄ました鋭敏な感覚を養い、精神面で後手を引かない行動力を身につけて欲しいと。
これは私の憶測ですが、日本代表の選手たちは監督に“自分を主張する”ことをあまりしてこなかったのではないかと思います。私は2年間アメリカに陸上留学した時、ブラジル人のコーチに指導を受け、彼に「何でも言い合えるように、ファーストネームで呼んで欲しい」と言われ話し易くなりました。渡された練習メニューに納得がいかない時は、身振り手振りを加えながらポルトガル語や英語で一生懸命主張していきました。そのうちに納得のいくメニューが出来上がったのです。
選手がオシム監督の母国語を少しでも学び、主張し合える関係を築くことが大切だと思います。
(共同通信/2006年7月17日配信)
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